【慶應通信】西洋史特殊 地域研究 ロシア メモ書き4

学び

皆様、お疲れ様です!テスト向けにちょっとメモ書き保管しようと思います。

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「公正の帝国」の誕生と国際秩序

ソ連外交の革命性と限界
(a)ボリシェヴィキの世界観
・資本主義の発達→帝国主義→帝国主義間戦争=第一次世界大戦(レーニン「帝国主義」)
→社会主義革命こそが世界平和の条件
(※K.ウォルツ「第二のイメージ」)
(b)妥協と脅迫観念
・世界(ヨーロッパ)革命の期待→不発
→ブレスト・リトフスク条約(1918.3.3)資本主義世界との一時的妥協
・資本主義帝国主義に取り囲まれているという強迫観念
干渉戦争の経験がこの世界観を補強
外部世界と一時共存しつつも世界革命も目指す(二重の外交)
(c)二重の外交
・公式の外交:外務人民委員部(外務省)(特に「平和共存」をうたう)
・非公式の外交(革命の輸出):コミンテルン→「公正の帝国」としてのソ連
(d)革命外交の実践
・ドイツでの革命工作の失敗、ハンガリーでの共産主義政府の挫折(ペラ・クン)1919
・コミンテルンの結成(1919年3月第一回大会)
第二回大会(1920年7-8月)
背景:ポーランド・ソヴィエト戦争(1919年2月-1921年3月)ソ連20年5月より反攻、7月ワルシャワに接近(その後8月に後退)
決議内容:修正主義者の追放(社民とは組まない)、「非合法組織」の創設、所属諸党のコミンテルン執行委員会の決定履行義務
・革命輸出の実践
イタリア、フランス、ドイツなどで、左翼の分裂(共産党と社会党)
→ヨーロッパでは革命の輸出は失敗
植民地では、土着「ブルジョアジー」と手を組んで帝国主義に対して解放運動を行う。
(e)政府間関係の正常化
・ジェノア会議(1922)へのソ連の公式参加
・ㇻパロ条約(1922)独ソ接近(ヴェルサイユ体制の疎外者)、軍事協力を含む
→革命外交からの後退、公式の外交の優位へ

一国社会主義論と外交

・スターリン「一国社会主義」論(1924年末)
一国で社会主義建設できる(国益)
完全勝利=世界革命(イデオロギー、党)
→まずは「プロレタリアの祖国」ソ連は防衛せよ(国益>党)
革命より、権力政治


ソ連初期の外交を説明する

(a)国際要因
革命外交からの退却は説明できる(革命外交は説明できない)
干渉戦争→安全保障恐怖症
(b)国内要因
革命の防衛・輸出
イデオロギー:革命外交に明らかに影響
経済的利害:正常化過程には一定の説明力
国内政治過程:外務人民委員部(チチェーリン)、党
(c)個人
レーニン、トロツキー、スターリンの個性


補足:ユーラシア主義の誕生

ロシア革命→亡命知識人→戦間期ヨーロッパに幻滅→西欧でもないアジアでもない独自の文明をロシアに見出す→ユーラシア主義(ソ連体制を独自の文明として肯定的にとらえたりもした)

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