【慶應通信】西洋史特殊 地域研究 ロシア メモ書き3

学び

皆様、お疲れ様です!テスト向けにちょっとメモ書き保管しようと思います。

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第一次世界大戦と帝政ロシアの終焉

背景
(a)国内改革の必要
・日露戦争(1904-5)の敗北:帝政の動揺
・1905年革命:ドゥーマ(議会)の設置
→対外的平穏の必要(英仏とも、ドイツとも協調)
1908年オーストリア=ハンガリーのボスニア=ヘルツェゴビナ併合認める(→反独墺感)

(b)バルカン戦争
・ 第一次バルカン戦争(1912):トルコに対してセルビアなどが宣戦布告
・ 第二次バルカン戦争(1913):セルビア・ギリシャ対ブルガリア
→ブルガリア敗北独墺への接近、大セルビア主義は反オーストリア、新露
ニコライ二世は、対独戦争予期せず。トルコ権益に関心。CFドゥルノボの覚書

第一次世界大戦

(a)開戦
オーストリア皇位継承者フランツ・フェルディナンド暗殺(1914.6.28)
オーストラリア(ドイツ全面支援)、セルビアに最後通牒(7.23)←ドイツの支持:ドイツ軍指導部の意向(ドイツ陸軍の拡張が済んだ今は大国間戦争にふさわしい、ロシアへの懸念。ニコライ2世、最後通牒を見ても対独戦になると信ぜず。戦争回避に動く。)
オーストリア、セルビアに宣戦布告(7.28)
ロシア、セルビア支援(7.30)
・オーストリア・ドイツへの譲歩が国内の不安定を増す懸念
・正教世界の守護者としての自覚
・ダーダネルス潰瘍がドイツの支配下に置かれる可能性
→部分動員ではなく総動員へ(ニコライ2世は総動員の回避を望む)
ドイツ、ロシアに宣戦布告(8.1/2)
ドイツ、フランス宣戦布告(8.3)(ロシアに部分動員にとどめるように画策も失敗)
イギリス、ドイツに宣戦布告(8.4)

(b)展開
・1914.8-1915.3頃、対オーストラリア戦、順調→兵器不足に直面
・大退却:1915年4月ガリツィアから退却開始、7月ワルシャワ放棄、8月までに40万人損失
・長期化:ロシアでも総力戦体制に構築  1915.9.5(8.23)ニコライ2世軍最高司令官に西部戦線、ドイツ軍 1914.9パリまで40キロ。その後、パリ、ベルギー国境間で膠着(モルトケ解任)
東部戦線、ロシアとはポーラントあたりで膠着
→同盟国、協商国ともに中立国の参戦を誘う

・参戦国の増大
(ⅰ)オスマン帝国
中立目指すも失敗、ドイツに近づく  1914.10参戦
英仏、アラブ人地域分割を決める
(ⅱ)イタリア
同盟国:中立維持を狙う
協商国:参戦させたい→1915.4参戦 ただし弱くて役に
(ⅲ)バルカン諸国
ブルガリア:同盟国が参戦求め成功(1915.9)、セルビア制圧
ギリシャ:連合国に(1917)
ルーマニア:連合国に(1916)
(Ⅳ)日本
日英同盟を口実に、東アジアでの優位を築くことを狙う
1914.8.23参戦→対華21か条要求(山東省権益、鉄道権益、鉄鋼権益、領土保全、日本人顧問の雇用)
(Ⅴ)アメリカ
当初中立:輸出で利益
対英仏、1914 7億5400万ドル→1916 27億4800万ドル
金融市場も強化、債務国から債権国へ
→調停者としての可能性を探る(1916年頃)
大統領ウィルソン「勝利なき講和」(1917.1)
・ドイツの無制限潜水艦作戦
 アメリカの商船も攻撃→アメリカも参戦へ(1917.4)
「世界をデモクラシーにとって安全なものとする」

(c)ロシア革命
1917年3月8日(2月23日):二月革命
1917年11月7日(10月25日):十月革命
ボリシェヴィキ「平和に関する布告」
・講和交渉の即時開始
・無併合、無償金、民族自決
・秘密条約の公表と休戦協定の即時締結

ロシアの第一次世界大戦参入を説明する

(a)国際要因
ロシアのおかれた地政学的位置(同盟関係、バルカンを巡る権益争い、ダーダネルス海峡を巡る争いなど)
(b)国内要因
国内不安への対応、正教世界の守護者、側近たちの動き
(c)個人
ニコライ2世の役割

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