【慶應通信】西洋史特殊 地域研究 ロシア メモ書き5

学び

皆様、お疲れ様です!テスト向けにちょっとメモ書き保管しようと思います。

スポンサーリンク

戦間期のソ連外交

背景 ファシズムの台頭
(1)イタリア
ヴェルサイユ体制へのイタリアの不満→ファシスト革命(1922)、ムッソリーニのファシスト政府
(2)ドイツ
成立過程
世界恐慌→ドイツ経済の機器→ナチ(国家社会主義ドイツ労働者党)の躍進(1930.9)→ドイツ・オーストリア関税協定の試み(1931)、破棄させられる→ナチス政権の成立(1933.1)
政策
国際連盟の脱退(1933.10)、再軍備宣言(1935.3)
(3)アジアでの展開
満州事変(1931.9)
国民党政府、中国統一へ北伐→日本満州波及阻止→満州事変→国際連盟脱退(1933.3)、ロンドン海軍軍縮会議からも脱退(1935-36)

ソ連の外交

(1)政策決定の仕組み
・スターリンへの権力集中
・外務人民委員;チチェーリン(親独)→リトヴィノフ(親英)(1930)党国際情報協調ラデク(親独)
(2)独ソ関係の展開
ラパロによる接近独:ロカルノ条約(1925)で西欧接近、ソ連の威信向上によりやや悪化
ナチスは政権獲得まで対外関係は現状維持をうたう→ソ連の油断 ドイツの国会放火事件(1933年2月27日)、共産党員弾圧→対仏協調に動くか揺れる。
1933年秋、ソヴィエト川からの提唱により、軍事協力中止
(3)ソ連の不安
日本とドイツに挟まれる
→フランス、チェコスロバキアと相互援助条約(1935.5)
国際連盟加入(1934.9)現状維持勢力へ
・ドイツは、仏ソ相互援助条約を期にラインラント再武装、ロカルノ条約一方的破棄
・フランス、傍観→ポーランド、チェコスロヴァキア、ユーゴスラヴィア、ルーマニアからの信頼失う
・イタリア、エチオピア戦争を巡って国際連盟脱退(1937.12)
・ファシズム恐怖症から赤軍大粛清も行う(1937-8)
(4)コミンテルン
1919-1921 革命輸出
1921-1935 統一戦線戦術(1921第三回大会):各国労働者階級の中に浸透図る(じきによっては社民党との協調もありえる)と「社会ファシズム論」(社民党はファシズムの担い手、敵)の間に揺れる
1935-1939 人民戦線戦術(1935、第7回大会):社会民主主義政党、ブルジョア政党とも協力し、ファシズムと闘う。各国共産党のソ連共産党への従属強化

スペイン内戦

1936.2.16 議会選挙 人民戦線の勝利→(左右の分極化)→クーデター
人民戦線(ソ連支援)VSフランコ将軍(イタリア、ドイツ支援)
イギリス、フランス介入せず(ただし義勇軍は参加)
第二次世界大戦のリハーサル(ソ連、イギリス、フランスVSイタリア、ドイツ)

第二次世界大戦とソ連外交

(a)日中戦争
1937.7日中戦争の突入(※盧溝橋事件)
日本軍部、アメリカ・ヨーロッパ諸国は干渉できないと判断
(b)ドイツの攻撃的政策
独墺併合(1938.3)
チェコスロバキアのズデーデン地方併合(英仏、ミュンヘン会議(1938.9)での宥和政策
スロヴァキアを保護国に(1939.3)
(c)ソ連孤立深める
1935.5-9 ノモンハン事件(戦争)
1939.8 独ソ不可侵条約(モロトフ=リッペントローズ協定)→1939.9 ドイツ、ポーランド侵攻→英仏、ドイツに宣戦布告(第二次世界大戦中開始)
(コミンテルン:1939-1943 機能停止ー解散 独ソ不可侵条約により人民戦線戦術の維持困難に)
(d)ヨーロッパとアジアの戦争の連動
日本、中国侵攻深まる←アメリカ、1937.7日米通商条約破棄
1940.9 日独伊三国軍事同盟
1941.4 日ソ中立条約
ドイツ、ソ連へ侵攻(1941.6.22)
快進撃、開戦一カ月でレニングラード包囲
(コミンテルン:対独戦開始後、ナチの反ソブロパガン(革命輸出)への対抗上解散)
アメリカ、対英援助強化(1941.3-)
日本躍進に対して対日石油輸出禁止(1941.7-)
1941.12.7(日本時間)対米戦争→ドイツ、イタリア対米戦線
→対独大同盟(英、米、ソ)の成立、ヨーロッパの戦争とアジアの戦争が連動する



戦間期ソ連外交を説明する

(a)国際要因
・ソ連のおかれた地政学的位置(ドイツと日本に挟まれる)
・安全保障の必要→現状維持勢力になる(ただし赤軍の粛清などは安全保障上の理由だけでは説明できない)
(b)国内要因
・経済要因 ×
・国内の意思決定機構:×(スターリン個人への権力集中)
・イデオロギー △
ファシズム恐怖症 〇 (赤軍の粛清)
(c)個人
・スターリンの役割

コメント

タイトルとURLをコピーしました