皆様、お疲れ様でございます。かなり以前に書き溜めていた国産旅客機MRJプロジェクトの記事になります。何故、このプロジェクトは失敗してしまったのか・・・個人的な興味での記録的な意味合いの記事になります。ご興味がある方がもしいれば読んで頂けるとありがたいです。
1. 序論:再び、日本のジェット旅客機の夢
半世紀にわたる沈黙を経て、日本の航空機産業が再び世界の民間旅客機市場に挑んだプロジェクト、それが三菱リージョナルジェット(MRJ)、後のスペースジェットであった 。プロペラ旅客機YS-11以来となる国産旅客機の開発は、単なる一企業の事業を超え、日本の「ものづくり」の新たな柱を築き、欧米メーカーの下請けという立場から脱却するという国家的な期待をも背負っていた。しかし、2008年の本格始動から15年、度重なる納入延期と巨額の投資の末、プロジェクトは2023年に正式な中止を発表されるに至った。
この結果をもって、スペースジェット計画は単純な「失敗」と断じることができるのだろうか。本稿では、航空産業アナリストの視点から、プロジェクトの当初の目的と意義、開発経緯における試練、直面した技術的・市場的課題、そして最終的な中止決定の背景を詳細に分析する。さらに、「失敗」の定義を多角的に検討し、商業的な成功には至らなかったものの、技術開発や人材育成といった側面で肯定的な遺産は存在しなかったのか、そしてこの経験から得られるべき教訓は何かを深く考察していく。
2. フェニックス・プロジェクト:MRJに託されたビジョン
第二次世界大戦後、GHQによる航空禁止令を経て、日本の航空機産業は大きな空白期間を経験した。1962年に初飛行したYS-11は技術的には評価されたものの、商業的には成功せず、その後、日本のメーカーはボーイングやエアバスといった欧米大手の下請けとして、部品製造や機体構造分担生産において高い技術力を培ってきた。ボーイング787では、構造材の50%が日本の開発した炭素繊維複合材で作られるなど、部品供給者としての地位は確立していたが、自ら完成機を設計・製造し、世界市場で販売するという野心は、長らく実現されずにいた。
この「失われた50年」とも言われる状況を打破すべく、三菱重工業(MHI)が中心となって立ち上げたのがMRJプロジェクトであった 。そのビジョンは明確だった。ターゲットとしたのは、今後20年間で約5000機の需要が見込まれる100席以下のリージョナルジェット市場であり、その半分、約2500機の受注を目指すという意欲的な目標が掲げられた 。成功の鍵として、最新鋭のプラット・アンド・ホイットニー(P&W)製ギヤード・ターボファン(GTF)エンジン「PW1200G」の採用による燃費性能の向上、優れた空力設計、そして競合機に対する快適な客室空間の提供 を掲げ、技術的優位性を追求した。
このプロジェクトは単なる商業的な試みではなく、日本の航空機産業全体のレベルアップ、すなわち部品サプライヤーから完成機インテグレーターへと脱皮し、自動車産業に次ぐ基幹産業へと育成するという国家的な戦略目標とも深く結びついていた。約500億円の国費も投入され 、「オールジャパン」体制での悲願達成が期待された。当初は、地方空港とアジアを結び外国人観光客を誘致するといった構想も語られるなど、多方面への波及効果も期待されていた。しかし、この高い技術目標と国家的な期待は、裏を返せば、未知の領域への挑戦に伴うリスクを内包するものでもあった。特に、最新技術の採用は、開発・審査プロセスの複雑化を招き、後の遅延の一因となる可能性を当初から秘めていた。
3. ロールアウトから現実へ:度重なる計画変更の軌跡
2008年に本格始動したMRJプロジェクトは、当初、2013年の初号機納入を目指していた。開発は進み、2015年11月11日には待望の初飛行に成功、多くの関係者や国民が日本の翼の再飛翔に期待を寄せた。しかし、この初飛行は、すでに当初計画から遅延した後のマイルストーンであり、プロジェクトの前途に横たわる困難の序章に過ぎなかった。
その後、MRJの開発は度重なる納入延期の発表に見舞われることになる。記録されているだけで少なくとも6回の延期が繰り返され、当初の2013年納入目標は、最終的に「2020年半ば」へと後退し、その後開発凍結、そして中止へと至った。
表1:MRJ/スペースジェット プロジェクトの遅延経緯(主な発表)
| 年月 | 発表内容/イベント | 当初の目標/状況 | 延期後の目標/状況 | 主な理由(公式発表) |
| 2008年 | プロジェクト本格始動 | 2013年 初号機納入 | – | – |
| 2009年9月 | 1度目の納入延期発表 | 2013年納入 | 2014年 第1四半期 | 設計変更 |
| 2012年4月 | 2度目の納入延期発表 | 2014年 第1四半期 | 2015年後半 | 検査体制の不備 |
| 2013年8月 | 3度目の納入延期発表 | 2015年後半 | 2017年 第2四半期 | 部品の仕様変更 |
| 2015年11月 | 初飛行成功 | (3度目の延期目標: 2017年 第2四半期) | – | – |
| 2015年12月 | 4度目の納入延期発表 | 2017年 第2四半期 | 2018年半ば | 設計変更、型式証明プロセス対応 |
| 2017年1月 | 5度目の納入延期発表 | 2018年半ば | 2020年半ば | 電気配線系統の見直しなど設計変更 |
| 2019年6月 | 「三菱スペースジェット」へ名称変更 | – | – | M100構想発表などブランドイメージ刷新 |
| 2019年10月 | 10号機(TC飛行試験機)完成遅延を示唆 | 2019年秋 飛行試験開始 | 2020年明け以降 | 配線系統の課題など |
| 2020年2月 | 6度目の納入延期を示唆(事実上の延期) | 2020年半ば | 2021年度以降?(明確な目標示されず) | 設計・検証作業の長期化 |
| 2020年3月 | 10号機(JA26MJ)初飛行 | – | – | – |
| 2020年10月 | 開発費大幅削減、「一旦立ち止まる」と開発凍結発表 | – | 開発再開時期未定 | 新型コロナ影響、市場環境変化、事業性評価 |
| 2023年2月 | プロジェクト中止を正式発表 | – | 開発中止 | 型式証明取得の困難、市場不適合、追加資金問題、事業性見通せず |
出典: 各種報道、MHI発表資料、等を基に作成。延期回数や時期の表現は情報源により若干異なる場合がある。
延期の理由は多岐にわたる。初期には設計変更や部品仕様の変更、検査体制の不備などが挙げられた。しかし、特に深刻だったのは、5度目の延期理由として挙げられた電気配線(ハーネス)系統の大幅な見直しであった。これは、航空機の安全性を証明する「型式証明(TC: Type Certification)」の取得に向けた審査プロセスの中で指摘されたものであり、プロジェクトがTC取得という最大の難関に直面していることを浮き彫りにした。
開発の遅れが深刻化する中、2019年にはプロジェクト名を「三菱スペースジェット」に変更。これは、北米市場の「スコープ・クローズ」と呼ばれる労使協定に対応した派生型「M100」構想の発表と合わせて行われ、ブランドイメージの刷新と市場戦略の転換を図る意図があったが、根本的な開発遅延の問題を解決するには至らなかった。
飛行試験は、主に米国のモーゼスレイクを拠点に行われた。TC取得に必要な膨大なデータを収集するため、最大7機の試験機が投入される計画だったが、最終的に米国で運用されたのは4機であった。TC取得の鍵を握るとされた設計変更反映後の10号機(JA26MJ)は、完成が遅れ、2020年3月にようやく初飛行したものの、その後の開発凍結により、TC取得に向けた本格的な飛行試験には使用されなかった。米国にあった4機の試験機は、最終的に解体されたと報じられている。
この一連の遅延と計画変更の繰り返しは、単にスケジュールが狂ったというだけでなく、プロジェクト管理、技術的な見通しの甘さ、そして何よりも民間旅客機開発、特にTC取得プロセスの複雑さに対する認識不足といった、より根深い問題が存在していたことを示唆している。
4. 型式証明という名の壁:技術的難題
スペースジェット開発が最終的に頓挫した最大の要因は、商業運航に必要な「型式証明(TC)」を取得できなかったことにある。TCとは、航空機が設計・製造・運航において安全性と環境適合性の基準を満たしていることを国の航空当局が証明するものであり、これなくして旅客を乗せて飛行することはできない。特に、グローバル市場、とりわけ最大のリージョナルジェット市場である北米での販売を目指すスペースジェットにとって、米国連邦航空局(FAA)のTC取得は不可欠であった。
TC取得プロセスは、通常5年程度を要する極めて複雑かつ厳格なものであり、設計のあらゆる側面が詳細に検証される。スペースジェットが直面した主な技術的課題は以下の通りである。
- 電気配線システムとアビオニクス: プロジェクト後半の遅延の主因となったのが、電気配線(ハーネス)とアビオニクス(電子機器)の配置に関する問題であった。最新の安全基準では、重要なシステム間の物理的な分離や電磁干渉の防止などが厳しく要求される。スペースジェットでは、これらの基準を満たすために、すでに製造された機体も含めて大規模な設計変更と再作業が必要となり、TC取得に向けたスケジュールに深刻な影響を与えた。初飛行後にこのような根本的な設計変更が必要になったという事実は、初期設計段階でのTC要件の織り込み不足、あるいは検証プロセスの甘さを示唆している。
- エンジンインテグレーション: 搭載されたP&W製PW1200Gエンジン自体は、2017年にFAAのTCを取得している。しかし、エンジン単体の認証と、それを機体に搭載し、他のシステムと統合して安全に機能させることの証明は別の問題である。最新鋭のGTFエンジンは燃費性能に優れる反面、構造が複雑であり、機体とのインテグレーションには特有の課題が伴う。MHIはエンジン部品製造や組み立て、試験体制の構築に取り組んでいたが、このインテグレーションプロセスも開発全体の複雑性を増す一因となった可能性がある。
- 部品開発と製造プロセス: 最新技術や炭素繊維複合材などの新素材の採用は、機体の性能向上に寄与する一方で、部品開発や製造プロセスの確立、品質管理に時間を要し、遅延につながる要因ともなった。
- TC取得プロセスへの対応: TC取得には、設計・試験に関する膨大な量のデータと文書の提出が求められる。MHIは、このプロセスを遂行するための社内体制構築や、FAAをはじめとする海外当局との折衝に多大な労力を費やした。しかし、結果として、民間航空機の、特に海外でのTC取得プロセスの複雑さと厳格さに対する認識が十分ではなかったことが、MHI自身も反省点として認めている。元三菱航空機社長の川井昭陽氏が、ビジネスジェット機MU-300のTC取得(1980年代)でさえ、経験豊富な米国人の助けなしには成し遂げられなかったと語っているように、TC取得は単なる技術力だけでなく、規制当局とのコミュニケーションや膨大な文書作成・管理能力を含む、特殊なノウハウと経験が要求される領域であった。この点に関する経験不足、あるいは外部専門知識の導入の遅れが、プロジェクトの停滞を招いた重要な要因と考えられる。
これらの技術的課題、特にTC取得プロセスへの対応の困難さは、単なる個別の技術的問題ではなく、民間旅客機開発というシステム全体を管理・遂行する能力、すなわちプログラムマネジメント能力の不足を示唆している。軍用機や部品製造で実績のあるMHIにとっても、民間旅客機のTC取得は、全く異なる次元の挑戦であった。
5. 市場の逆風:競合と商業的可能性
スペースジェットが挑んだリージョナルジェット市場は、決して容易な市場ではなかった。ブラジルのエンブラエルとカナダのボンバルディアという、すでに確固たる地位を築いた2大メーカーが市場を席巻していた。
MRJの開発が遅延する間に、競合、特にエンブラエルは着々と手を打っていた。エンブラエルは、MRJと同じP&W製GTFエンジンを採用した次世代機「Eジェット E2」ファミリーを開発し、MRJの納入が遅れる中で市場投入を開始した。これにより、MRJが当初アピールしていた燃費性能における優位性は相対的に薄れてしまった。
市場環境も大きく変化した。ボンバルディアは、採算性の問題から商用航空機事業から段階的に撤退。主力だったCRJプログラムの保守事業は皮肉にもMHI自身が買収したが、より大型のCシリーズ(現エアバスA220)はエアバスに売却された。また、ボーイングがエンブラエルの商用機部門を買収する計画もあったが、最終的に破談となった。これらの動きは、リージョナルジェット市場の再編と競争環境の変化を示すものであった。
しかし、スペースジェットにとって最も深刻な市場の障壁となったのは、北米市場特有の「スコープ・クローズ」と呼ばれる労使協定であった。これは、大手航空会社のパイロット組合が、系列リージョナル航空会社が運航できる航空機の座席数や最大離陸重量を制限するもので、多くの契約で76席クラスが上限とされている。スペースジェットの主力モデルであるM90(標準88席)はこの制限を超えるため、最大のターゲット市場である北米での販路が大きく制限されるという致命的な問題を抱えていた。
MHIは、このスコープ・クローズが将来的に緩和されることにある程度期待していた節があるが、その見込みは甘かった。スコープ・クローズ問題に対応するため、2019年のブランド名変更と同時に、76席クラスで協定に準拠する派生型「M100」構想が発表された。M100は、M90をベースとしつつ、大型の手荷物収納棚(オーバーヘッドビン)の設置や貨物室の縮小による客室スペースの最適化などを特徴としていた。しかし、M90自体の開発・TC取得が大幅に遅延する中で、M100の開発に着手することは現実的ではなく、市場投入はあまりにも遅すぎた。競合のエンブラエルは、スコープ・クローズに適合するE175で同市場での地位を固めており、スペースジェットが割って入る余地は、時間とともに失われていった。
このように、開発の遅延は技術的な問題だけでなく、市場での競争力と商業的な実行可能性をも著しく損なう結果を招いた。特に、最大のターゲット市場の要求仕様に対する戦略的な判断ミスは、プロジェクトの運命を決定づける大きな要因となった。
6. 1兆円の賭け:投資と財務的負担
スペースジェットプロジェクトは、日本の航空機産業の未来を賭けた壮大な挑戦であったが、その代償は極めて大きなものとなった。最終的にプロジェクトに投じられた開発費は、当初の想定をはるかに超え、総額1兆円規模に達したと報じられている。このうち、約500億円は国費によって賄われたが、大部分はMHIグループが負担した。
開発の長期化と度重なる設計変更は、コストを指数関数的に増大させた。開発を担当した子会社の三菱航空機(MAC)は、設立以来赤字を計上し続け、2017年3月期には純損失511億円を計上し、510億円の債務超過に陥った。その後も赤字は累積し、親会社であるMHIは、MACに対して巨額の増資や債権放棄といった財務支援を繰り返し行わざるを得なかった。MHI本体の連結決算においても、スペースジェット事業に関連する多額の損失が計上され、経営への負担は年々増大していった。例えば、2020年3月期には、MHI単体でスペースジェット事業関連損失として6317億円もの特別損失を計上している。
これほどまでに巨額の投資が続けられた背景には、一度始めた国家的なプロジェクトを途中で断念することの難しさがあったと考えられる。投じた費用と労力が大きければ大きいほど、損失を確定させる決断は心理的にも組織的にも困難になる、いわゆる「サンクコスト(埋没費用)の呪縛」が働いていた可能性は否定できない。国家的な威信、産業育成への期待、そしてすでに受注した航空会社への責任感などが、赤字が膨らみ、市場での勝算が薄れていく中でも、プロジェクトを継続させるインセンティブとなったのかもしれない。
しかし、MHI経営陣は、TC取得に向けてさらに巨額の追加投資が必要であり、仮に完成したとしても、変化した市場環境の中で事業として採算が取れる見込みはない、という厳しい現実に直面することになる。最終的な中止決定は、これ以上の投資継続は不可能であるという、財務的な限界に達したことの表れでもあった。
7. エンジン停止:2023年、中止決定の背景
2020年10月、MHIは新型コロナウイルス感染症拡大による航空需要の低迷などを理由に、スペースジェットの開発費を大幅に削減し、「一旦立ち止まる」としてプロジェクトを事実上凍結した。そして約2年半後の2023年2月7日、MHIはスペースジェットプロジェクトからの完全撤退、すなわち開発中止を正式に発表した。
MHIが公式に発表した中止理由は、複数の要因が複合的に絡み合った結果であった。
- 技術・型式証明: 最大の要因は、やはりTC取得の壁であった。開発の長期化により、最新の安全基準に適合させるための設計見直しが必要となり、TC取得完了までには、なお多くの時間と技術的な検証作業を要することが判明した。また、TC取得プロセスを支援する海外パートナーからの協力確保も困難になったと判断された。これは、認証取得に必要な専門知識やリソースの確保が、もはや現実的ではないという認識を示している。
- 市場環境: 北米市場におけるスコープ・クローズ緩和の進展が見られず、主力モデルM90では市場に適合しない状況が継続していた。さらに、コロナ禍後の航空市場、特にリージョナル市場の回復は不透明であり、パイロット不足も深刻化するなど、市場規模そのものに対する懸念も高まっていた。
- 財務・事業性: TC取得を完了し、量産体制を構築するには、さらに巨額の資金が必要となる見通しであった。しかし、上記のような市場環境では、仮に機体を完成させたとしても、投資に見合うだけの受注を獲得し、事業として成立させることは極めて困難であると判断された。
- 戦略・リソース: MHI自身も、高度化した民間航空機のTCプロセスへの理解不足、そして長期にわたる開発を継続的に実施するためのリソース(人材、資金、ノウハウ)の不足を、プロジェクトの反省点として挙げている。2年以上にわたる開発凍結期間を経て、プロジェクトを再起動させることの困難さも、中止判断の背景にあったと考えられる。
これらの要因は相互に関連し合っている。技術的な問題とTC取得の遅れが開発費の高騰と納期の遅延を招き、その間に市場環境が悪化し、競合に対する優位性も失われた。そして、天文学的な追加投資の必要性が明らかになった段階で、事業継続は不可能という結論に至ったのである。これは、大規模な航空機開発プロジェクトにおいて、技術、市場、財務、そして戦略がいかに密接に結びついているかを示す事例と言える。
8. 失敗か、次への礎か?:成果の評価
スペースジェットプロジェクトが、当初の目標であった「国産初のジェット旅客機を商業的に成功させる」という点において、明確な失敗であったことは疑いようがない。1機も顧客に引き渡されることなく、1兆円もの巨額な投資が回収不能となり、日本の航空機産業の悲願であった市場への本格参入は再び頓挫した。
しかし、この結果をもって、プロジェクトがもたらしたものが皆無であったと断じるのは早計かもしれない。商業的な失敗の裏で、何らかの肯定的な成果や、将来につながる遺産は存在しなかったのだろうか。
- 技術的知見の蓄積: プロジェクトを通じて、最新の航空機設計、炭素繊維複合材などの先進材料の加工・組立技術、GTFエンジンのような複雑な推進システムのインテグレーション、そして何よりも民間旅客機の開発プロセス全体に関する貴重な経験値が得られたことは事実である。特に、TC取得プロセスにおける苦闘は、その困難さと重要性を日本の航空機産業に深く刻み込んだはずである。
- 人材育成: 長期間にわたる開発プロセスは、多くの日本人技術者や専門家にとって、現代的な航空機開発プロジェクトに携わる実践的な経験の場となった。たとえ最終的な成功には至らなかったとしても、ここで培われたスキルや知識を持つ人材は、日本の航空宇宙産業にとって貴重な財産となり得る。
- 教訓の獲得: プロジェクトマネジメントの重要性、TC取得に関する専門知識の不可欠性、グローバル市場の厳しさ、そして技術的野心と商業的実現可能性のバランスの難しさなど、多くの実践的な教訓が得られた。これらの教訓を将来に活かすことができれば、失敗は単なる損失ではなく、未来への投資となり得る。
- 他分野への応用: スペースジェット開発で得られた知見や育成された人材は、MHIが進める他のプロジェクト、特に日英伊共同で開発が進められている次期戦闘機(GCAP)計画などに活用されることが期待されている。MHIはボンバルディアから買収したCRJのサポート事業も継続しており、完成機ビジネスへの関与は限定的ながら続いている。
ただし、これらの「遺産」の価値は、日本およびMHIが、今後どのように航空宇宙分野、特に民間航空機分野に関わっていくかにかかっている。得られた知見や教訓が、具体的な次のステップ、例えば新たな国家戦略に基づく国際共同開発などに効果的に活かされなければ、その価値は時間とともに薄れてしまうだろう。GCAPへの技術応用は期待されるものの、それが日本の民間航空機産業の発展に直接つながるかは未知数である。スペースジェットの失敗を経て策定された新たな航空機産業戦略が、真に実を結ぶかどうかが、このプロジェクトの最終的な評価を左右する要素の一つとなるだろう。
9. 専門家たちの視点:飛行経路からの教訓
スペースジェットプロジェクトの顛末について、航空アナリストや業界関係者、評論家からは様々な分析や見解が示されている。その多くに共通して見られるのは、プロジェクトが直面した課題の根源に関する指摘である。
- 型式証明(TC)の壁の軽視: 多くの専門家が、TC、特にFAAの認証プロセスの複雑さと厳格さをMHIが根本的に見誤っていた点を指摘している。航空経済紙「Aviation Wire」編集長の吉川忠行氏は、撤退の要因を「技術不足と経験不足」とし、特に民間旅客機に求められる安全証明の取得に対する見通しの甘さが結果を招いたと分析する。元三菱航空機社長の川井昭陽氏も、飛行機を作ることとTCを取得することは全く異なる技術であり、後者には経験豊富な専門家の助けが不可欠であったと示唆している。
- 技術・プログラムマネジメント能力の不足: 単に個別の技術力が足りなかったというより、複雑なシステムを統合し、長期間にわたる大規模プロジェクトを管理・遂行する能力、特にTC取得を見据えた開発プロセスを構築・運営する経験が不足していたとの見方が強い。海外の専門知識や経験をより早期に、より深く取り入れる必要があったとの指摘もある。
- 市場戦略の誤算: 北米市場のスコープ・クローズという明確な制約条件に対し、楽観的な見通しで主力モデル(M90)の開発を進めた戦略的判断の誤りを指摘する声も多い。航空評論家の杉江弘氏は、北米市場でのシェア獲得が前提であったにも関わらず、TC取得の遅れと設計変更が重なり、市場機会を逸したと分析している。
- 「日の丸プロジェクト」の弊害: 国家的な期待を背負った「オールジャパン」体制が、かえって客観的なリスク評価や早期の戦略転換を妨げた可能性も指摘されている。早稲田大学の戸堂康之教授は、この経験から「オールジャパンに固執してはいけない」という教訓を引き出すべきだと論じている。
- 国際協力の重要性: 上記とも関連するが、自前主義に陥らず、開発初期段階から適切な国際パートナーシップを構築することの重要性が、このプロジェクトの教訓として挙げられている。
MHI自身が発表した反省点も、これらの外部からの指摘とおおむね一致している。TCプロセスへの理解不足やリソース不足を認めている点は、問題の核心が外部環境の変化だけではなく、内部の能力や認識にあったことを示唆している。専門家たちの見解を集約すると、スペースジェットの失敗は、主に民間旅客機開発、特に認証プロセスに関する経験と知識の不足、そしてそれに伴う戦略・計画の甘さに起因するものであり、市場の変化はその問題をさらに深刻化させた要因であった、と結論づけられる。
10. 結論:スペースジェットが遺したもの
国産初のジェット旅客機、スペースジェット(旧MRJ)プロジェクトは、半世紀ぶりの挑戦として大きな期待を集めたが、商業的な成功を収めることなく、2023年に中止という形で幕を閉じた。その直接的な原因は、度重なる技術的課題、特に型式証明(TC)取得という極めて高いハードルを越えられなかったことにある。この技術的・プロセス的な難航は、開発スケジュールの遅延とコストの天文学的な高騰を招き、結果としてプロジェクトの財務的基盤を蝕んだ。さらに、北米市場のスコープ・クローズという市場環境への対応の遅れや、競合の台頭により、商業的な実行可能性も失われた。
この結果をもって、プロジェクトを単純な「失敗」と断じることは容易である。目標達成は果たされず、投じられた巨額の資金と時間は、直接的なリターンを生むことはなかった。しかし、その評価は多角的であるべきだろう。失敗の経験から得られた技術的知見、育成された人材、そして何よりも民間航空機開発の厳しさに関する痛烈な教訓は、無価値ではない。これらの「遺産」が、今後の日本の航空宇宙産業、特に防衛分野(GCAP計画)や、新たな国家戦略の下で模索されるであろう国際共同開発といった次なる挑戦に活かされるのであれば、スペースジェットの挑戦は、完全な失敗ではなく、次世代への「高価な授業料」であったと評価できる日が来るかもしれない。
スペースジェットの物語は、現代のグローバル市場において、新しい民間航空機を開発し、商業的に成功させることがいかに困難であるかを改めて示している。技術力だけでは乗り越えられない、認証、市場、財務、戦略といった複雑に絡み合う要素を統合的にマネジメントする能力が不可欠である。日本の航空機産業が、この経験を真摯に受け止め、未来への糧とできるかどうかが、今まさに問われていると思います。
丁度、私が自衛隊に入隊した年に、FS-Xというか今のF-2のモックアップができて岐阜の飛実団でご対面をしました。当初の計画からできあがるまで本当に紆余曲折がありました。航空機を作っていくというのは本当に大変であるのだけども、日本独自で開発がどんどんできるよう期待しています。
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